三月のはじめ、月替わりの三月の柄が染め上がりました。薄い黄色の地に、菜の花が揺れている柄でした。
おじいさんとおばあさんは、染め上がった見本を一本、つうに届けることにしました。つうはこれまで、自分の柄が手ぬぐいになったところを、一度も見ていなかったからです。おばあさんは、おにぎりを三つ握りました。
鬼ヶ島からのメールのことを、おじいさんはまだ、つうに聞けずにいました。
店を早じまいして、バスに乗り、山道を三十分歩いて、二人が山あいの一軒家に着いたのは、宵の口でした。障子に明かりがともり、ノートパソコンに向かう影が一つだけ映っていました。縁側には、白い羽根が数枚落ちていました。
戸をたたきましたが、返事はありませんでした。もう一度たたいても、同じでした。
障子が、少しだけ開いていました。
覗かない約束でした。二人とも、それはよく知っていました。それでも二人は、障子の隙間から、中を見ました。
中にいたのは、一羽の鶴でした。
鶴は、自分の羽根を抜いて、機を織って……はいませんでした。画面を三つ並べていました。一つでは四月の柄を描き、一つでは毎週の投稿の画像を作り、一つではネットショップに新しい柄を載せていました。机の脇には、空になった栄養ドリンクの瓶が並んでいました。
羽根は、ところどころ薄くなっていました。縁側の羽根は、ひとりでに抜けたものでした。
隣の席には、座布団が一枚敷いてありました。誰も、座っていませんでした。

二人が驚いたのは、つうが鶴だったことではありませんでした。一人だったことでした。
鶴は、二人に気づいて、手を止めました。
「見られたので、
ここまでです」
鶴は縁側から飛び立ち、暗くなりかけた山の向こうへ見えなくなりました。開いたままの画面には、描きかけの四月の柄が映っていました。
二人は、見本の手ぬぐいとおにぎりを縁側に置いて、帰りました。
翌朝、店を開ける前に、つうから見積書が一通届きました。おじいさんは、まだ見積もりを頼んでいませんでした。
御見積書
- 柄のデザイン(版下を含む) 一柄 三万円
- 商品ページの説明文 一件 二万円
- 毎週の投稿の画像 月 四万円
- ネットショップの更新 月 三万円(パートナー 鬼ヶ島の業者)
別紙:鬼ヶ島の業者の見積書(十一月二十九日付)
備考:恩返しは、先月で完済しました。今月からは、正規料金です。パートナーの費用も、含めております。
納期は、徹夜をしない日数で計算しております。
おじいさんは、見積書を二度読みました。別紙は、鬼ヶ島の業者の、ネットショップの更新 月三万円の見積もりでした。海の向こうの値段も、こちらの相場と同じでした。日付の十一月二十九日は、初雪の夜に、おじいさんが発注書を書いた翌日でした。
つうは毎月、来月こそ発注しようと思っていたのだそうです。
おじいさんは、その日のうちに、見積もりのとおりの発注書を返しました。おばあさんは、帳簿の単価の欄を書き直しました。それから、十二月からの値引きの欄を、上から順に足していきました。合計は、提案料の七倍になっていました。
その日の午後、つうは鬼ヶ島の業者に、正式な発注書を送りました。
春になりました。
四月の柄は、約束の時刻ちょうどに届きました。桜の花びらが、川に流れていく柄でした。納品書の隅の白い羽根のロゴの隣には、角の生えた小さなロゴが並んでいました。納品書の備考の欄には、一行だけ書き添えてありました。
「見本の手ぬぐいと、おにぎりを、ありがとうございました。おにぎりは、三つともいただきました」
柄のデータの更新日時は、午後三時台でした。ネットショップの更新は、午前四時台のままでしたが、鬼ヶ島では午後四時台でした。

おばあさんは、それも帳簿の端に書き写しました。
初夏には、商店街の夏祭りがあります。祭りの手ぬぐいの柄は、組合がつうに頼むことになりました。見積もりのとおりの値段でした。前例は、それで一つになりました。
発注書は、役員のおじいさんが書きました。いちばん下に、一行、書き添えました。
「納品前に、覗きません」
春の終わりには、つうの羽根は、すっかり生えそろったそうです。
恩は、値引きで返さなくていい。




